インタビュー| カーマン社長、稲福の想い
『カーマン創業秘話』
はじめまして。カーマン代表の稲福です。
私がカーマンを通して伝えたい想い、それは「ものを大切にする心」です。
個人事業でカーマンを創業したのは2014年。
それまではゴリゴリの営業会社のいち営業マンとして、車業界とは全く関係のない仕事をしていました。
更にさかのぼって私の幼少期の頃の遊びと言えば、ミニ四駆よりもキン肉マン、ラジコンカーよりも鬼ごっこ。
車にはさらさら興味がなく、生涯携わる事はないだろうと思っていました。
そんな車音痴だったはずの私が、カーマンを創業したキッカケを少しだけお話させてもらいます。
創業のキッカケは「この国ではまだまだ利用価値のある数多くの車が、ゴミ同然に処分されている」という事実を知ってしまった事。
その当時の中古車買取業界は、新聞広告欄やテレビCMで「中古車高価買取」というフレーズを見聞きしない日がないくらい、文字通り「イケイケ」な業界(笑)
にも関わらず、まだまだ利用価値がありそうな車が1日に何万台、何十万台というペースで、廃車処分されているという事実を知ってしまったのです。
もともとリサイクル/リユーズ業界に関心があった私は、中古車買取の仕組みに興味を持ち始め、中古車販売店や自動車整備工場の経営者のもとを訪ね、話を聞きました。
その結果「古くて過走行な車は価値がない」という答えにたどり着き、衝撃を受けたのです。
車業界と無縁だった車音痴の私は「まだまだ乗れそうな車がなぜ廃車処分されてしまうのだろう?目の前で廃車処分されているこの車を商品化する方法はないのか?この車を車として再利用しあげたい!」という感情的な動機で、右も左も分からない状態で中古車買取業界に飛び込む事を決め、カーマンを創業しました。

【写真上:カーマン創業時、パートナーの池原豊篤氏との一枚】
【写真下:先輩の会社のヤードを間借りしてスタートしました】
感情的な動機で中古車買取業界に飛び込む事を決め、脱サラ後に独立した私。
ここでふたつ、大きな問題に直面しました。
ひとつめは、車音痴だったが故に車の事を何も知らなかったという事(笑)
ふたつめは、買い取った車を販売するマーケットがなかったという事(笑)
まさに「行き当たりばったり」です。今考えれば、あまりに無知で怖いもの知らずでしたね。
そんな無知な私でしたが、個人的にラッキーだった事もいくつかありました。
ひとつめは、パートナーである池原豊篤氏との出逢い。
ひょんな事から知り合った同氏は、工業高校の自動車科を卒業後、中古車関連の仕事をしていました。
車音痴である私の「一緒にやりましょう!」という話に二つ返事で「いいよ」と応じてくれたのです。
後々理由を聞くと「よく分からないけど面白そうな奴だったから」と話してくれました。
ふたつめは、私がもともと営業畑出身の人間である為、セールスとセールスマーケティングにはある程度精通していたという事。
最後に、2年間のアメリカ留学経験があり多少の英語は話せたという事。
こうして私はカーマンの創業とほぼ同時期に「CARMAN MILITARY USED CAR SALES」という、在沖米軍人向け中古車販売事業を立ち上げ、入口(中古車買取)と出口(中古車販売)を繋ぐ事に成功したのです。
私が、沖縄の中古車買取業界の仕組みを変える。
中古車買取業界の仕組みを変える事ができれば、カーマンは必ず皆様のお役に立てる。
従来の常識にとらわれない高価買取を実現させる事が出来る。
何より「古くて過走行だから」という理由だけで廃車処分されてしまうような車を救ってあげる事が出来る。
これから先何年も、元気いっぱいきれいな青空の下を走らせてあげる事が出来る。
沖縄の中古車買取業界の仕組みを変える事は私の命の使い方
(=使命)だと思っています。
しかし私がこの想いを綴っている今も、まだまだ利用価値のある数多くの車が「古くて過走行だから」という理由で、廃車処分されているのです。
時間がありません。皆様の協力が必要なのです。
『ものを大切にする心』
ふと思う事は「日本人は贅沢病を患っているんじゃないか」と。
まだまだ使えるものを廃棄して、新しいものを買う。車もそう。
まだまだ利用価値がある車を「古くて過走行だから」という理由で当たり前に廃車処分して、新しい車を買う。
新品が消費されないと中古品の流通が止まってしまうから否定はしないけど「古き良き」という表現が適切かどうかは分かりませんが、平和で裕福な国に生まれ育った事が災いし「ものを大切にする心」をどこかで失ってしまっているような気がするのです。
だから皆様にお願いです。
どうか「古くて過走行だから」という理由で、皆様の愛車を廃車処分する事が当たり前だと思わないで下さい。
皆様の愛車、カーマンなら救ってあげられるかもしれません。
『共にロマンを描きましょう』
「カーマンの仕事にはロマンがある」と、私は常々口にしています。
一般的な中古車買取店では「市場価値なし」と見なされた車に、カーマンが独自の視点で車としての利用価値を見出し、車として再利用する。
その車が、これから先何年も、きれいな青空の下を元気に走り続ける。
もしカーマンと出逢わなければ廃車処分されてしまったであろう車が、誰かに必要とされ、車として生き続けるなんて、とてもロマンがあると思いませんか?
暑苦しいかもしれないけど、単純な【勘定】の部分だけではなく【感情】の部分で皆様と繋がりたい。
皆様と共に素敵なロマンを描きたい。私は本気でそう思っています。
『まだまだ元気に走る車、廃車にするなんてもったいない』
これはカーマンのスローガンであり、合言葉。
初年度登録から10年が経過し、走行距離が10万キロを超える車でも、車としての利用価値があるならば、車として再利用しましょう。
キズ・サビ・ヘコミがある車でも問題ありません。
フルリノベーション後には見違えるような姿に生まれ変わります。
皆様の愛車の未来はカーマンに託しましょう。
「カーマンにお願いして良かった!」
ひとりでも多くのお客様にそう言っていただけるよう、がむしゃらに全力で、カーマンは走り続けます。
『最後に』
話が少し逸れますが、上で少しだけ触れたパートナーの池原豊篤氏について。
「お前は前だけ向いて突っ走ればいい。後ろは俺がフォローする」
口数が少なくちょっとシャイな同氏は、お酒を飲むと毎回口癖のようにこう言ってくれました。
懐の深い兄貴であり、いつも守ってくれる先輩であり、かけがえのない友人であり、共に戦う戦友でした。
2016年3月7日、突然の病に倒れ、同氏はこの世を去りました。
よりによって私の誕生日に亡くなるって、よほど私の事が好きだったのでしょうね(笑)
今、体はここにはないかもしれないけど、心はいつもここにあります。
カーマンの礎を一緒に築いてくれた同氏は、私の中で、いつまでも生き続けます。
豊篤さん!俺がカーマンを大きく育てるよ!そっちで見守っててね!